『伊能忠敬研究』 第20号 目次一覧
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■凡 例 [ジャンル] ●=日記 ■=史料・資料 ◎=伊能忠敬 ○=周囲の人物 △=史跡めぐり
[表 題] 《 》=誤記の訂正 例:伊能図探究 第一〇号 伊能図見て歩き(三)《(四)正当》
〔 〕=内容の注記 例:伊能家文書紹介 十一 その二 枇榔嶋〔日向国臼杵郡〕
号数
ジャンル
番号
表 題
著者
号-頁
発行日
20号
表紙
1
表紙 伊能忠敬研究 一九九九年夏季 第二十号 季刊 史料と伊能図
伊能忠敬研究会
20--1
19990730
2
表紙図解説 徳島大学図書館蔵 文化元年中図(中)部分 佐渡国
渡辺 一郎
20-0
3
目次
20-0
巻頭エッセイ
4
「ただたか」の因縁
中江 利忠
20-1
(なかえ としただ・朝日新聞相談役)
研究ノート
5
伊能忠敬と羅針(方位磁石)〔伊能忠敬時代は羅鍼と称した〕
藤岡 健夫
20-2
○飯高惣兵衛
6
測量中の伊能忠敬に贈った飯高惣兵衛の漢詩について
木島 里八
20-6
作者飯高惣兵衛と、『灞陵集(はりょうしゅう)』
(きじま りはち・元九十九里町史編集委員)
20-7
あとがき 「いわし博物館」木島氏に書いていただいた
安藤
20-7
◎伊能家文書紹介
7
伊能家文書紹介 十三 その一 二人の師 高橋至時(よしとき)と間(はざま)重富(つづき)《至時と重富②》
安藤 由紀子
20-8
寛政七年
高橋至時
史料 『星学手簡』
間重富
20-10
8
伊能家文書紹介 十三 その二 楽天樓主人
伊能 陽子
20-12
「楽天樓主人」は、忠敬の雅称の一つである。今回は、測量の旅で出会った文人との交流に触れてみたい
■伊能豊秋日記
9
伊能古文書教室 佐原伊能家史料を読む 伊能豊秋日記(二)
小島 一仁
20-15
聟さがし(つづき)
宝暦十二年九月廿四日〔1762.11.09〕、坂田村神保三次郎と申す仁ヘ取掛積リニ〔坂田郷小堤(おんづみ)村とするのが正しい〕
20-16
宝暦十二年十一月廿九日〔1763.01.12〕、風西、日和吉、三郎右衛門養子相極り
20-17
宝暦十三年《十二年 正当》十二月八日〔1763.01.21〕、日和吉、三郎右衛門方婚礼、中村迄迎
研究ノート
10
伊能忠敬関係史料〔「奥州紀行」〕原文解読誤りに付いて
窪谷 悌二郎
20-19
「鉾田より度海へ五里」は「鉾田より夏海へ五里」の誤り〔渡海でなく陸路をたどったのが正しい〕
○小野良助(栄重)
11
小野良助と和算について
伊藤 栄子
20-20
小野良助 第四次測量のみに参加
故郷の上州岩鼻(現安中市)に引退し、栄重の名前で、和算家として弟子の養成に余生を捧げる。地もとではエイジュウさんとよばれている
和算のながれ
算学事始め
20-21
栄重の生い立ちとその後
20-22
参考文献
20-23
平山諦『和算の誕生』恒星社厚生閣
丸山清康『上毛の和算』みやの文庫
大竹茂雄『群馬の和算家』上毛新聞社
△星座石(葛西昌丕)
12
「測量之碑」と「星座石」の謎(一)
渡部 健三
20-24
第1図 現地案内図
第2図 向かって右は測量之碑、中央低い石は星座石
測量之碑 読み下し文
20-25
葛西昌丕〔まさひろ〕という人
第3図 星座石の盤面 北極出地弎〔参〕拾九度十弐分
20-26
まず、「地球の微動」を検証する
第4図 コマの首振り運動
20-27
(わたなべ けんぞう・物理学専攻)
伊能ウォーク便り
13
第Ⅰステージを完歩して
中山 翠
20-28
(なかやま みどり・本部隊員・研究会会員)
前橋駅は、出発前の興奮状態
伊能 陽子
20-28
◎芳名録より
14
芳名録より-佐原伊能家を訪れた人々-
20-29
高島 米峰(たかしま べいほう) 大正一〇年酉夏日
例会報告
15
例会報告
渡辺 一郎
20-30
九州支部だより
16
伊能忠敬研究会九州支部、春季例会報告
石川 清一
20-32
(いしかわ せいいち・九州支部長)
お知らせ
17
新潟支部(垣見代表)と石川支部(河崎代表)が発足しました
20-33
18
伊能ウォーク関連イベントを提案しましょう
20-33
19
『伊能忠敬物語』の上演 東京新国立劇場 加藤剛主演
20-33
奥付
20
入会案内・HP・編集後記(岡)
(岡)
20-33
21
1999年7月30日発行 伊能忠敬研究会
編集発行人
渡辺 一郎
20-33
22
裏表紙(英文目次)
20-34