『伊能忠敬研究』 第30号 目次一覧
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■凡 例 [ジャンル] ●=日記 ■=史料・資料 ◎=伊能忠敬 ○=周囲の人物 △=史跡めぐり
[表 題] 《 》=誤記の訂正 例:伊能図探究 第一〇号 伊能図見て歩き(三)《(四)正当》
〔 〕=内容の注記 例:伊能家文書紹介 十一 その二 枇榔嶋〔日向国臼杵郡〕
号数
ジャンル
番号
表 題
著者
号-頁
発行日
30号
表紙
1
表紙 伊能忠敬研究 二〇〇二年 第三十号 史料と伊能図
伊能忠敬研究会
30--1
20021021
2
表紙図解説 米国議会図書館蔵 伊能大図部分「徳島」付近
渡辺
30-0
3
目次
30-0
最近の話題
4
成田山仏教図書館創立百周年を祝す
渡辺 一郎
30-1
成田山仏教図書館は成田山新勝寺で運営する私立図書館で、館長は成田山新勝寺の貫主が兼ねておられる
(伊能忠敬研究会 代表理事)
30-2
5
徳山市で「ミニ歩測大会」開催
30-9
6
北九州市の都市基準点が移設 伊能記念碑に
福岡市 石川 清一
30-23
(福岡市・石川清一氏より)
7
都市基準点の完成まで
村井 純孝
30-24
(伊能忠敬記念碑建設実行委員会会長)
◎芳名録より
8
芳名録より-佐原伊能家を訪れた人々-
伊能 陽子
30-25
内ヶ崎 作三郎(うちがさき さくさぶろう) 大正九年十一月二十二日《一月 正当》
研究ノート
9
平成六年九月 伊能小図(旧海兵)の調査レポート
谷村 聖二郎
30-3
内容は、6号の次の「別冊」を参照
発見できなかった旧海軍兵学校蔵「伊能小図」副本
編集部
30-3
会報〔第七号〕発行以前のことでもあったので、記録に残すため再録する。体裁を整えるため〔横書きを縦書きに変更している〕編集部で若干加筆したことをお断りしたい
○間宮林蔵
10
伊能家文書紹介 二一 忠敬と間宮林蔵(二)
安藤 由紀子
30-10
ゴロウニン事件
最後の出会い
30-11
その後の間宮林蔵
30-12
○西村太冲
11
加賀藩天文暦学者 西村太冲(三)
河崎 倫代
30-14
五、再び金沢へ(つづき)《五のつづき》
3 金沢町測量事業
六、時制の改革
30-15
1 十二代藩主前田斉広
2 加賀藩の十三分割法
七、金沢での天体観測
30-16
1 ポンス彗星の観測
2 気朔暦の発行
30-17
八、太冲の死と後継者たち
1 門人たち
2 太冲の子孫たち
30-18
よみがえる太冲
研究ノート
12
『伊能忠敬は長寿だったか』-階層別からみた考察-
石川 清一
30-20
一、はじめに
二、天皇四八・七才 貴族六五・五才
三、徳川将軍四九・六才 足利将軍三九・七才
30-21
四、大名・旗本六五・二才
五、武道家六二・七才
六、宗教家七〇・七才 芸術家・文学者七〇・七才
七、俳人六八・一才
30-22
八、探検家・学者六九・二才
九、一般庶民 調べる程にわからなくなる
一〇、茶人五三・三才
一一、女性七一・五才
30-23
一二、さいごに(結論) 以上の結果から伊能忠敬は階層別に比較して確かに長寿であった。一般庶民層を除き、今回抽出した三七八人の平均は六四・九八才であり、約九才長寿である
生没年については次の二冊を参考にした
「日本史総合年表」加藤友康編 吉川弘文館 2001年刊
「日本史人物生没年表」日外アソシエーツ編集部編 紀伊國屋書店 1997年刊
13
多良海道(長崎脇街道)-その追分をめぐって-
松尾 紀成
30-26
図イ 肥前の長崎路
図ロ どれが正規の「多良往来」(長崎脇街道)か
30-27
(まつお のりよし・佐賀県塩田町・長崎街道研究家)
30-32
14
講演要旨 伊能忠敬の測量した丹波丹後の道
小林 清
30-33
丹波・丹後の測量 二度行われている
30-36
丹後の道・丹波の道・歴史の道
30-37
天橋立くっきり 伊能の大図 忠敬も見たかった「炎の架け橋」 200年前の宮津描く
(京都新聞)
30-39
号数
ジャンル
番号
表 題
著者
号-頁
発行日
30号
研究ノート
14
高速道路の古代回帰 京都縦貫道は、むかしの京街道ルート
小林 清
30-39
20021021
(舞鶴市・舞鶴地方史研究会長)
小野清さんが丹後・丹波地方の足跡紹介 忠敬が測量した経路と、現在の道路網や地形との関連を説明 「道の日」の八月十日
(朝日新聞)
30-39
●伊能忠敬と橋津〔文化03丙寅年第五次測量(1806)〕
15
伊能忠敬と橋津(1806~1814)
田中 精夫
30-40
〔橋津西蓮寺の改修施主〕天野屋与兵衛と久世屋太兵衛(文化三年)
鳥取県における伊能隊の足跡
30-41
伊能忠敬の伯耆・因幡国測量
30-42
橋津藩倉(鳥取池田氏の灘御蔵)の絶頂期
30-43
(鳥取県佐治村・鳥取大学教育地域科学部付属小学校)
●愛媛県岩城島の文書〔文化03丙寅年第五次測量(1806)〕
16
地域史料 岩城島の文書〔伊能測量文書〕《その一》
伊藤 栄子
30-44
岩城島〔いわぎじま〕とその近辺
30-46
ここで米の値段を見てみよう。この文書では、ほぼ百文で一升五合の価。このころ江戸では一升百文位の時代が長く続いていた。それが慶応になると、百文で一合五勺しか買えなくなる。石高で生活していた武士の困窮を始め世の中騒然としてくる。このことから伊能隊が測量した十七年間は、まず平穏な時代だったといえる
30-50
■江戸在住日記
17
伊能忠敬の江戸在住日記 九〔(第8次測量帰着以後)1816.01.02~1816.12.09(文化12.12.04~文化13.10.21)〕
佐久間 達夫
30-51
江戸府内測量の概要
30-55
◎新・伊能忠敬物語
18
『新伊能忠敬物語 余話』 伊能測量隊の旅と旗本巡検使の通行
渡辺 一郎
30-58
はじめに
巡検使の規律
30-59
巡検使一行の人数
30-61
巡検使の旅費
30-63
巡検使一行の編成
接待
参考資料
30-64
島根県飯石郡誌
臼井良作『本陣の記録』(昭和50年)
忠敬談話室だより
19
佐原の「伊能忠敬記念館」の看板が新しくなりました
30-64
奥付
20
研究会案内・投稿規定・HP・編集後記(F)
(F)
30-65
21
2002年10月21日発行 伊能忠敬研究会
編集発行人
渡辺 一郎
30-65
22
裏表紙(英文目次)
30-66