『伊能忠敬研究』  第33号  目次一覧 
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 ■凡 例  [ジャンル]  ●=日記   ■=史料・資料   ◎=伊能忠敬   ○=周囲の人物   △=史跡めぐり
       [表  題] 《 》=誤記の訂正  例:伊能図探究 第一〇号 伊能図見て歩き(三)《(四)正当》
             〔 〕=内容の注記  例:伊能家文書紹介 十一 その二 枇榔嶋〔日向国臼杵郡〕
 
号数 ジャンル 番号 表 題 著者 号-頁 発行日
33号 表紙 1 表紙 伊能忠敬研究 二〇〇三年 第三三号 史料と伊能図 伊能忠敬研究会 33--1 20030723
2 表紙図解説 フランスの伊能中図がボロボロに 渡辺 一郎 33-0
3 目次
33-0
最新情報 4 最新情報 「才女・エイ」-大崎栄のこと- 小島 一仁 33-1
  「才女・エイ」大崎栄が、潮来市牛堀の旧家の出身であったということの公算は、極めて大きい 33-2
◎柏木家資料 5 伊能忠敬と柏木家の人々 柏木 隆雄 33-4
  佐倉歴博寄託の柏木家の「先祖書」から、幸七は伊能家七代目昌雄の三男と推察されるに至った 33-5
  先祖、初代柏木幸七が生れたのは一七三七年、その二〇〇年後の一九三七年に小生はこの世に生まれ出た。何かの縁である 33-6
  (かしわぎ たかお・柏木幸七子孫)
  忠敬の内妻 心蓮妙諦信女の墓・佐原市観福寺 柏木家墓地内 33-7
△史跡めぐり 6 -伊能忠敬史跡めぐり- 三陸海岸黒崎の伊能忠敬測量記念碑 渡部 健三 33-10
  北緯40度シンボル塔 前に立つとセンサーが働いて地球儀が回転する趣向
◎芳名録より 7 芳名録より-佐原伊能家を訪れた人々- 編集部 33-16
  小夜子(?)
33-16
  永興 昭和三季夏八月
  佐藤 銕太郎 大正庚申〔九年〕四月二十七日
    佐藤銕(鐵)太郎海軍中将 この署名が書かれた大正九年四月は、海軍大学校長 白根 貞夫 33-17
    余談 日本海海戦時、奇しくも佐藤鐵太郎中佐(参謀)と、伊地知季珍大佐(艦長)とが、同一艦「出雲」(第二艦隊の旗艦)で起居を共にした
    伊地知季珍(いぢちすえたか)は、洋の母方の祖父。海軍中将呉鎮守府長官にて退官 伊能 陽子 33-18
  芳名録解読のお願い・パート2
総会報告 8 今年度第一回例会および総会報告 福田 弘行 33-7
  (福田 弘行) 33-9
トピックス 9 平成の測量隊員 永野 達代 33-12
  山口県徳山工業高等専門学校土木建築工学科で測量合宿 歩測実習
10 伊能忠敬に師事せる先覚の士
33-14
  小野寺春海の逸話 弁天山紅葉山今昔 昭和一二年一一月二日 (岩手日報) 33-14
  村上光一氏のお便り 村上 光一 33-14
  菅原良太氏の補足説明から
33-15
11 質素な忠敬 豪華な夕食 総会懇親会場で試食 編集部 33-23
お知らせ 12 ようこそホームページへ 追録[集れホームページ] 河崎 倫代 33-27
13 伊能景利(かげとし)コレクション展 伊能忠敬記念館 33-35
  景利収集石標本等 33-36
  宝永3年(一七〇六)に57人もの六十六部(行者〔修験者〕)を宿泊させ、彼等より石を入手している
14 伊能の地図 ぼろぼろ 『日本の技術で補修を』 (東京新聞) 33-47
◎伊能家文書紹介 15 伊能家文書紹介 二四 高橋景保と伊能忠敬 安藤 由紀子 33-19
  影の功労者・高橋景保
  景保と忠敬の親しさ
  役宅の火災 33-20
  長男景敬の死 33-21
  高橋景保書簡 伊能忠敬宛 文化十年八月十七日〔1813.09.11〕
  景保の病気
  忠敬の没後 33-22
研究ノート 16 忠敬先生と筑前こぼれ話 河島 悦子 33-24
  青柳種信(勝次)
  広羽八十郎 福岡で忠敬先生に入門 分間(測量士)・天文方兼帯で明治を迎えている 33-25
  (かわしま えつこ・歴史街道を歩く会代表) 33-27
●蝦夷地測量〔寛政12庚申年第一次測量(1800)〕 17 伊能忠敬と蝦夷地派遣の幕吏たち~蝦夷地測量時における~ 堀江 敏夫 33-28
  はしがき
  蝦夷地御用の幕吏たち
  堀田仁助の奥羽・蝦夷地の海路測量 33-30
  堀田・伊能の緯度測地値(北緯) 33-32
  伊能忠敬の蝦夷地測量交渉 33-33
  あとがき 33-35
  (ほりえ としお・苫小牧駒澤大学非常勤講師)
●島原領測量〔文化09壬申年第八次測量(1812)〕 18 伊能忠敬の島原領測量と島原藩の地図作製 松尾 卓次 33-37
  一、初めに
  二、伊能の測量と島原藩の関わり
  三、伊能忠敬の島原領内測量 33-38


号数 ジャンル 番号 表 題 著者 号-頁 発行日
33号 ●島原領測量〔文化09壬申年第八次測量(1812)〕 18     図② 島原領内測量行程図 松尾 卓次 33-40 20030723
  四、伊能忠敬の島原出しの手紙 33-41
  五、測量の実際
  六、島原藩と〔佐賀藩〕神代領の対応
  七、島原藩の地図作製 33-44
  八、終わりに 33-46
    伊能の島原領内測量は、寛政の大地変の二〇年後で、島原城下町が全滅し、島原の地形が大きく変わったときであった。城下町には四日間も滞在して、町内だけでなく新しく生まれた三九もの島々を詳しく測量している
  (まつお たくじ・島原城資料館) 33-47
■伊能忠誨日記 19 伊能忠誨(いのうただのり)日記(二)〔1820.08.16~1821.04.02(文政03.07.08~文政04.02.30)〕 佐久間 達夫 33-48
  注釈〔人物〕 33-53
●愛媛県岩城島の文書〔文化03丙寅年第五次測量(1806)〕 20 地域資料 岩城島の伊能測量文書 その三 伊藤 栄子 33-56
会員便り 21 近況報告から
33-62
日々の話題 22 日々の話題から
33-63
お知らせ 23 お知らせ
33-64
新刊紹介 24 吉井貞俊さんが著書出版 「福の神 えびすさん ものがたり」戎光祥(エビスコウショウ)出版
33-64
25 渡辺一郎編著「伊能忠敬測量隊」刊行 七月下旬小学館より
33-64
訂正 26 訂正 前号の伊能測量隊行進曲を「鉄道唱歌」としましたが、原曲は「アムール川の流血」、替歌は「旧制一高寮歌」「歩兵の本領」でした
33-64
奥付 27 研究会案内・投稿規定・HP・編集後記(F) (F) 33-65
28 2003年7月23日発行  伊能忠敬研究会 編集発行人
  渡辺 一郎
33-65
29 裏表紙(英文目次)
33-66