『伊能忠敬研究』  第73号  目次一覧 
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 ■凡 例  [ジャンル]  ●=日記   ■=史料・資料   ◎=伊能忠敬   ○=周囲の人物   △=史跡めぐり
       [表  題] 《 》=誤記の訂正  例:伊能図探究 第一〇号 伊能図見て歩き(三)《(四)正当》
             〔 〕=内容の注記  例:伊能家文書紹介 十一 その二 枇榔嶋〔日向国臼杵郡〕
 
号数 ジャンル 番号 表 題 著者 号-頁 発行日
73号 表紙 1 表紙 伊能忠敬研究 二〇一四年 第七十三号 史料と伊能図 伊能忠敬研究会 73--1 20140630
2 表紙解説 伊能大図(彩色復元図二〇二号)長崎の部分(アメリカ議会図書館蔵) 渡辺 一郎 73-0
3 目次
73-0
グラビア 4 伊能図の旅 星埜 73-1
  九州沿海図第17の部分(東京国立博物館蔵)
  九州沿海図第8・11の部分(東京国立博物館蔵) 73-2
  平戸領全図(松浦史料博物館蔵) 73-4
◎伊能家文書紹介 5 伊能忠敬の書簡二通〔神保家文書〕 加藤 時男 73-6
■高橋景保御用日記 6 連載 改題 高橋(景保)御用日記より(四)《(五)正当》〔1805.11.11~1805.12.16(文化02.09.21~文化02.10.26)〕 渡辺 一郎 73-11
◎髙宮家家伝薬 7 髙宮家家伝薬に纏わる逸話 忠敬・稲女を偲ぶ会
髙宮 啓明
髙宮 宏
髙宮 勲
73-17
  一、はじめに
    高宮家家伝薬の版木と、売薬御検査願〔明治弐拾五年三月廿三日 髙宮勝治郎〕の文書
  二、家伝薬蘇命丸〔本家の疱瘡麻疹の薬〕、済生丸〔分家の梅毒の薬〕の諸国販売
  三、家伝薬由来の考察 73-19
    桑原隆朝→若い頃弟子になった忠敬→稲→二代目勘兵衛→(忠敬の曽孫)秀・折江が高宮家広成に嫁す〔折江は秀の姉で、後妻として〕→辰治郎→髙宮分家(明治十二年)岩尾・勝治郎夫婦→辰司→文吉→昌子・宏夫婦(昭和四十五年頃、宏は義父文吉から家伝薬の錠剤作りの手解きを受けながら「忠敬の後妻の父が有名な医者云々」と聞かされた)
  四、おわりに
    家族から病弱といわれていた忠敬が日本全国を測量できたのも、医師志望で体得した医学、薬学の知識技能が役立ったと思われる
    本稿をご指導戴きました渡辺一郎と戸村茂昭のお二人に、心から感謝申し上げます
  参考 高宮家、稲生勘兵衛家について 渡辺 一郎 73-20
    忠敬経由でなく、嫁入りするお信へ、父隆朝が持たせた秘密の処方箋だったかも 忠敬・稲女を偲ぶ会
髙宮 啓明
髙宮 宏
髙宮 勲
73-20
    婦道を立て、覚悟して夫に従ったお稲に、「暮らしの足しにしてね」と、義母の立場でお信が秘薬の処方を渡したという仮説もありうると思う
    九十九里の生誕地公園にたつ忠敬顕彰碑には、大庄屋だった高宮家と並んで、盛右衛門〔稲の夫〕末裔の稲生勘兵衛家が名前を連ねている
    忠敬は若いお信を正妻に迎えたので、桑原は岳父ということになるが、年齢は一歳しか違わなかった。お信はお稲の義母に当たるが、年齢はほぼ同じくらいだったろう
    桑原家と工藤平助の関係〔家系図〕
    伊能忠敬と髙宮家との関係年譜 73-21
忠敬談話室 8 伊能忠敬が行かなかった日本 小笠原諸島はなぜ列強に侵略されなかったのか 鈴川 準二 73-22
  一七八五年に林子平が著した「三国通覧図説」の中で、小川原諸島の地図とともに「一五九三年に小笠原貞頼によって発見された」と書いたが、これを紹介したドイツ東洋学者クラプートの「アジア誌」により、「小笠原は日本領」という暗黙の了解が欧米各国に広まっていたらしい
  「小笠原貞頼によって発見された」と言い出したのは、小笠原貞頼の子孫と称する小笠原貞任で、証拠書類を添えて「小川原諸島は自分のものだから開拓を認めていただきたい」と徳川幕府に願い出たのが発端であった。幕府が調べてみると文書はとんでもない偽造で、小笠原貞任は詐欺の罪で罰せられている(一七三五年)
  史実としての最初の上陸者は、一六七〇年に紀州から江戸に向かっていたミカン船が漂着した時らしい 73-23
報告 9 「伊能図大全刊行の大成功。御礼」 予約特価税込十万円 初版二五〇〇部 イノペデイア有志(W) 73-23
各地のニュース 10 完全復元伊能図フロア展 中央区 通算27回目 来年2月の唐津市催行が最後
73-23
◎伊能測量漫筆 11 伊能測量漫筆 四 桑原隆朝は伊能測量の影のキ-マン 渡辺 一郎 73-24
  医者と坊主は音読みというから、名前は、りゅうちょう、というのが正しい
△各地の記念碑 12 伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(二)- 河崎 倫代 73-25
  一、北海道稚内市
    「間宮林蔵の立像」
    「間宮林蔵の胸像」
    「間宮林蔵渡樺出港の地の碑」 73-26
  二、北海道室蘭市 「伊能橋」
  三、青森県東津軽郡今別町 標柱「史跡伊能忠敬止宿」 73-27
  四、群馬県高崎市 多古碑〔日本三古碑〕
  (没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代) 73-28
山武歳時記 13 山武歳時記(六)-夏場が旬の「九十九里地はまぐり」 山武郡九十九里町片貝 江口 俊子〔画も〕 73-29
各地のニュース 14 岐阜県下呂市で「伊能忠敬測量調査下呂来訪200年展」開催!
73-30

15 マルタ島見聞記 I・W生 73-31
■測量隊の足跡をたどる 16 「伊能忠敬測量隊の足跡をたどる」連載第十回〔第6次測量(四国沿岸・大和路の二)1808.06.04~1809.01.15(文化05.05.11~文化05.11.30)〕 監修 渡辺 一郎
編著 井上 辰男
73-34
●加賀藩測量〔享和03癸亥年第四次測量(1803)〕 17 石川県支部ニュース 加賀藩測量の足跡をたどる(一) 室山 孝 73-47
  はじめに
  一、大聖寺城下・板屋太郎兵衛(6/24)
  二、吉崎浦・東本願寺かけ所(6/23) 73-48
  三、片野村・肝煎木屋源右衛門(6/25) 73-49
  四、橋立村・一向宗照谷山因随寺(6/26)
  五、安宅浦・網七左衛門(6/27) 73-50
  六、本吉町・嶋田屋万右衛門(6/28)
  あとがき 73-51
各地のニュース 18 笹山領測量二〇〇年記念 伊能忠敬ミニフロア展 伊能忠敬笹山領探索の会会長 加賀尾 宏一 73-51
香取支部だより 19 一 伊能忠敬墓前祭について 伊能 楯雄 73-53
20 二 伊能忠敬NHK大河ドラマ化推進協議会について
73-53


号数 ジャンル 番号 表 題 著者 号-頁 発行日
73号 会員便り 21 会員便り
73-54 20140630
22 新入会員自己紹介
73-55
  石川 恵美さん(横浜市)
  寺尾 承子さん(石川県)
23 退会
73-56
24 追悼
73-56
25 訃報
73-56
奥付 26 投稿要領・研究会案内・HP・編集後記(T・H) (T・H) 73-57
27 2014年6月30日発行  発行 鈴木 純子  伊能忠敬研究会 編集 高安 克己
発行 鈴木 純子
73-57