『伊能忠敬研究』  第86号  目次一覧 
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 ■凡 例  [ジャンル]  ●=日記   ■=史料・資料   ◎=伊能忠敬   ○=周囲の人物   △=史跡めぐり
       [表  題] 《 》=誤記の訂正  例:伊能図探究 第一〇号 伊能図見て歩き(三)《(四)正当》
             〔 〕=内容の注記  例:伊能家文書紹介 十一 その二 枇榔嶋〔日向国臼杵郡〕
 
号数 ジャンル 番号 表 題 著者 号-頁 発行日
86号 表紙 1 表紙 伊能忠敬研究 二〇一八年 第八十六号 史料と伊能図 伊能忠敬研究会 86--1 20181107
2 表紙解説 アメリカ議会図書館蔵 伊能大図52号 部分(松島周辺) 宮内 敏 86-0
3 目次
86-0
特報 4 「立川」志の輔師匠 伊能忠敬研究会名誉会員に! 渡辺 一郎 86-1
  (理事 名誉代表 渡辺 一郎)
研究と話題 5 九鬼隆範作成「京神間路線図《鉄道線図 正当》」について 星埜 由尚 86-2
  明治初期に工部省において伊能図を参考として作成されたと思われる「京神間鉄道線図」について報告する
  三田城跡に近い旧九鬼家住宅資料館(三田藩家老を務めた九鬼家の住宅として明治9年九鬼隆範によって建てられた擬洋風建築)にて展示の資料
新刊紹介 6 書籍紹介 『伊能忠敬の足跡をたどる』星埜由尚著 日本測量協会 菱山 剛秀 86-3
研究と話題 7 史料紹介 『町方書上』と『寺社書上』 玉造 功 86-4
  「町方書上」「寺社書上」は、文政九年から江戸の地誌として編集を始めた「御府内風土記」の資料として、各町や寺社に提出を命じたもの
  「地誌御調書上帳」深川黒江町 名主助之丞 子八月〔子は文政十一年(一八二八年)〕
  文化五年正月十九日〔1808.02.15〕『伊能忠敬江戸日記』に、居住地については「当分深川黒江町名主斉藤助之丞地面借地」とある
●加賀藩測量〔享和03癸亥年第四次測量(1803)〕 8 史料紹介 加賀藩の測量隊受け入れ方針決定まで 河崎 倫代 86-5
  はじめに
  加賀藩領内測量に関する論考
  加賀藩の測量隊受け入れ方針決定までの史料 諸史料を使って時系列にたどってみる
  史料① 享和3年2月17日〔1803.04.08〕、幕府勘定奉行、加賀藩に伊能忠敬の領内測量を告げる
  史料②③ 3~4月、加賀藩御算用場、測量隊の待遇方について、郡奉行経由で配下の十村へ通達する 86-6
    史料② 猶以、右勘解由格式等之儀者、聞番より承合候所、高橋作左衛門弟子に而、いまた公儀江被召抱候儀に而も無之者に候間、敢而重き取扱に及不申旨
  史料④ 5月21日、加賀藩天文暦学者西村太冲が弟子小原治五右衛門を使いに出し、美濃国関ケ原に逗留中の忠敬に、「能登一国測量手伝い」を願い出る 86-7
    史料④ 小原治五右衛門が持参した②を、忠敬写す
  史料⑤ 5月29日、加賀藩庁、大聖寺藩の郡奉行を通じ、大聖寺藩領塩谷村の海運業者に、敦賀近辺での測量隊の情報収集を依頼し、その返事が届いたので御郡奉行へ知らせる
  史料⑤ 6月、奉行所から、「家数・村高を書き出すことはならぬ」と通達が出る
  史料⑥ 5月末、藩御算用場より各郡奉行に、「先触」以上の人足や杭の用意は不要、「隠密がましき」質問への警戒を促すよう通達を出す 86-9
    史料⑥ 御隠密かましき義相尋候共、下々役人共心得ニ而難答 86-10
  史料⑦ 6月15日、藩年寄長甲斐守連愛、西村太冲の「測量手伝い願い」を不許可にし、忠敬との「書通」「面話」も禁じて城端町に禁足する
  史料⑧ 6月27日、測量隊、25日に越前国から加賀国に入って大聖寺藩領の測量を進め、この日、加賀藩領の測量を始める 86-11
  おわりに
●輿地実測録(大日本実測録) 9 『輿地実測録』を読む① 忠敬をして地度を測定せしむ 前田 幸子 86-12
  はじめに
    文政四年七月十日〔1821.08.07〕に『大日本沿海輿地全図』が幕府に上呈された際、同時に『輿地実測録』が提出されたことはよく知られている。しかし、その具体的な内容についてはこれまで紹介される機会があまりなかった。今回は『輿地実測録』の概要と「首巻」について、実物の画像を示しながら紹介してみたい
  『輿地実測録』とは
    『輿地実測録』は『大日本沿海輿地全図』大図・中図・小図の付録として提出された伊能図のデータ集である。第一巻から第十三巻には沿海、街道の里程、島嶼、湖沼、蝦夷地などについての実測値が収録されている。これに序文、凡例、目次を収録した首巻を付して計十四巻からなる
  成立と経過
  正本の存在
    『輿地実測録』が実際には焼失を逃れ、現在も国立公文書館に、正本を含む三セットが保存されていることがわかった〔第62号1~4頁で鈴木純子氏が詳細な報告〕
  『輿地実測録』の構成
  刊本『大日本実測録』 86-13
    国立公文書館に収蔵されている手書本『輿地実測録』三セットのほかに、木版刷で刊行された『大日本実測録』がある。旧福井藩松平家所蔵の写本を原本として、明治三年(一八七〇)に大学南校(東京大学の前身)から刊行された。献上本との間に本文の異同(誤脱)が少なからずあるとされる
  『輿地実測録』首巻の内容 86-14
    『大日本沿海輿地全図序』高橋景保
    『大日本沿海輿地全圖序』伊能忠敬
    『大日本沿海輿地全圖凡例』伊能忠敬
    『高橋景保又誌』高橋景保
  ①【原文】『大日本沿海輿地全圖序』高橋景保 86-15
  ②【原文】『大日本沿海輿地全圖序』伊能忠敬 86-16
  ③【原文】『大日本沿海輿地全圖凡例』伊能忠敬 86-18
  ④【原文】『高橋景保又誌』高橋景保 86-19
△史跡めぐり 10 伊能忠敬史跡めぐり 深川の法乗院 玉造 功 86-20
  はじめに
  伊能家の菩提寺
  江戸の伊能家
  忠敬と法乗院 86-21
  忠敬の死
  忠敬の死の公表
  法乗院と源空寺 86-22
  江戸時代の法乗院 86-23


号数 ジャンル 番号 表 題 著者 号-頁 発行日
86号 △史跡めぐり 10   現在の法乗院 玉造 功 86-23 20181107
  法乗院深川ゑんま堂〔本堂左側〕 86-24
■測量隊の足跡をたどる 11 「伊能忠敬測量隊の足跡をたどる」連載第二十回〔第8次測量(九州第二次 小倉~伊万里)1812.08.21~1812.10.14(文化09.07.15~文化09.09.10)〕 監修 渡辺 一郎
編著 井上 辰男
86-25
●土佐藩奥宮正樹測量日記〔文化05戊辰年第六次測量(1808)〕 12 奥宮正樹「測量日記」の紹介(完結編)〔1808.05.15~1808.06.20(文化05.04.20~文化05.05.27)〕 戸村 茂昭 86-38
忠敬談話室 13 忠敬没後二百年記念 測量協力者子孫顕彰会の経緯 伊能測量協力者顕彰会事務局 86-53
  最初の名乗り出
  明治維新で落魄した庄屋の子孫
  感動的なメッセージで激励を貰う
  フロア展で感動した子孫の雄叫び 86-54
  ファミリーストーリーを確認できた子孫
  伊能大図の天測印☆で確かめる
  突然の宿舎提供で協力者となる
  口伝はあったが人物DBで子孫と確認
  安藤由紀子さんと友人だった
  岡山城下止宿先は歴史好きの岡山TVアナウンサーの調査で判明
  会報の原稿に記載の記事を頼って
  最上徳内の妻の実家「島谷家」
  執念が実って由緒文書が出現 86-55
  半年間、電話し続けて接触
  新幹線開通で参加出来た子孫
  非通知設定の電話連絡の為、追跡不能
  平成の伊能忠敬の活動に感動した市民の働きかけから名乗りでる 86-56
  顕彰に感動し関係子孫全員で参加
  伊能隊のお世話をいただいた方々は当時から名家の方々とおもわれますが、今まで二〇〇年続いておられることに、素晴らしいものを感じます
  伊能データベース 86-57
  志の輔師匠の記念落語の成功
  開会に至る事務手続き
  (渡辺・戸村 記) 86-58
  参加者のお便り追補 伊万里市 川浪 富士夫 86-58
九州支部だより 14 平成30年度 九州支部総会報告 九州支部長 石川 清一 86-59
  (いしかわ せいいち)
△記念碑の話題 15 JR佐原駅前ロータリーに 〔香取市が〕伊能忠敬翁の銅像を建立 北極星の観測を意識して北向に建立 制作者は木内禮智氏(香取市出身彫刻家)
86-60
お知らせ 16 伊能測量協力者顕彰会に参加して(子孫)その二
86-60
訂正 17 第85号の誤植:お詫びして訂正します 53・58頁・裏表紙
86-60
会員便り 18 新入会員自己紹介
86-60
  福岡県 白石 文紀
お知らせ 19 紙上総会
86-61
  平成29年度 伊能忠敬研究会収支報告 86-62
  伊能忠敬没後200年記念事業費収支報告 86-63
  平成30年度 伊能忠敬研究会事業計画 86-64
奥付 20 投稿要領・研究会案内・HP・編集後記(S・M) (S・M) 86-65
21 2018年11月7日発行  発行 鈴木 純子  伊能忠敬研究会 編集 高安 克己
発行 鈴木 純子
86-65