『伊能忠敬研究』 伊能忠敬の周囲の人物一覧 
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401 ○秀蔵(敬慎) 51号 「忠敬先生の二男周蔵(秀蔵)さんが作った美しい問題」 (新潟日報) 51-4 20080229
69号 史料解説 桜井秀蔵あて伊能忠敬書簡 伊能 楯雄 69-6 20130531
69号   【編集部注】地図御用所の家は、桑原隆朝(如則)から買い受けている 渡辺 69-9 20130531
69号 コラム 伊能忠敬と桜井秀蔵 69-9 20130531
  本書状に登場する桜井秀蔵は忠敬の二男である。「ヒデゾウ」ではなくて「シュウゾウ」と読む。これは忠敬が「周蔵」と間違って手紙に書いているから明らかである
77号 小説 林蔵と秀蔵(上) 柏木 隆雄 77-35 20151020
78号 小説 林蔵と秀蔵(下) 78-36 20160220
82号 〈随想〉秀蔵の返歌 伊能 楯雄 82-14 20170630
  「たかよし(敬慎)」は秀蔵の別名 82-15
  返歌の受け手である「うめのきみ」は、分家の伊能七郎右衛門豊秋(忠敬入婿時の伊能家の後見人)の長男・勝次郎であろうと考える。秀蔵より二十七才年長、父豊秋死後、家を継ぐが、俳句や和歌に没頭するようになり、家事を顧みなかったため、三十一才の時に追放され久離〔きゅうり〕人の身となった。……二十六才になったばかりで伊能家との縁を切られ行き場のなかった秀蔵が、潮来の草庵に住む久離人・勝次郎(ここでは「鳳後」と名乗っていた)の元を訪ねたのではないだろうか。今や同様の身の上の二人である
  忠敬と秀蔵(神保玄次郎)の墓 佐原・観福寺 〔五メートル程の場所〕
  (筆者 伊能七郎右衛門家当代) 82-16
98号 深川黒江町から八丁堀亀島へ 玉造 功 98-20 20221030
  一 黒江町隠宅
  二 転居先が見つからない
  三 秀蔵が北町奉行所同心見習いとなる 文化九年四月廿三日〔1812.06.02〕 98-21
    秀蔵、文化十一年四月八日〔1814.05.27〕見習御免
    文化十一年十一月二十八日〔1815.01.08〕、桜井家から離縁された秀蔵が、亀島町に転がり込む
  四 八丁堀亀島への転居 文化十一年六月三日〔1814.07.19〕引越す
  五 八丁堀亀島とは 98-22
  六 所有者・敷地・地代〔借家だった〕
  七 『文化五年七月竹嶋町外絵図』 98-23
  八 地図御用所の終焉 文政五年十一月七日〔1822.12.19〕 98-24
402 ○周辺の人 会田算左衛門安明 68号 伊能忠敬 周辺の人① 会田算左衛門安明 前田 幸子 68-22 20130228
  はじめに
  永代橋が落ちた日
  『自在漫録』より
  会田安明とは
  利根川流域での出会い 68-23
  日本一の算術師をめざして
  質素なくらし
  律儀なつきあい 68-24
  弟子を魅了したカリスマ性
  共通の人脈 68-25
  晩年の肖像
  安明の家族
  会田安明の史跡を訪ねて 68-26
    【山形の史跡】
    【江戸の史跡】 68-27
403 ○和算の人脈 49号 和算の人脈(一) 安藤 由紀子 49-54 20070806
  一 『算法少女』をめぐって
  二 千葉あき
  三 会田算左衛門安明 49-55
  四 利根川と会田安明 49-58
  付録 和算の問題 49-60
  和算に興味をお持ちの方は、小寺氏のホームページ『和算の館』をご覧ください 49-61
  (あんどう ゆきこ・「伊能忠敬文書目録」編者)
50号 和算の人脈(二) 50-60 20071130
  一 尾形啓次郎(渡辺 慎)と忠敬
    終始一貫純然たる門弟として忠敬を支え、没後その学統を継いだのは、この尾形啓次郎ただ一人であった
  二 出生のひみつ 50-61
    大川治兵衛 50-62
  三 啓次郎を育てた人脈 50-64
  付録 和算の問題 50-65
  (あんどう ゆきこ・「伊能忠敬文書目録」編者)
52号 和算の人脈(三) 52-58 20080531
  四 〔尾形〕啓次郎の成長
    尾形啓次郎の「呼び名」はあきれるほど多い
    啓次郎、謙二郎、謙治郎、啓助、敬助、圭助、慶助、賢次・・・


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403 ○和算の人脈 52号     入夫して武士となってからは、渡辺慎のみが使われている 安藤 由紀子 52-58 20080531
    忠敬は内弟子の教育に、会田算左衛門の『算法天生法指南』を使っていた
    飯高惣兵衛 52-59
  五 啓次郎の挫折 52-60
  六 増員願い 52-62
  七 内弟子暴走 52-63
  八 身内の運命 52-64
    忠敬は身内に対してたいへん厳しい人であった
    第七次の九州測量では、最初から測量を担った身内縁者は、すべて姿を消している
    とにかく身内で最後に残ったのは尾形ひとりだったのである
  (あんどう ゆきこ・「伊能忠敬文書目録」編者) 52-65
  〔第1~10次測量の〕従事者リスト
54号 和算の人脈(四) 54-48 20081130
  九 九十九里へ
  十 飯高惣兵衛家
  十一 立ち直り 54-50
  十二 婿入りの仲人は? 54-51
  十三 普請方、渡辺慎 54-52
  十四 幸国寺 54-55
56号 和算の人脈(補遺) 56-46 20090531
  記録を残した遊歴和算家 大島善右衛門
  犬目の平助
  山口和 道中日記(文化十四) 56-47
  伊能秀蔵(伊能勘解由伜)が問うた問題の由 56-48
  小野栄重 56-51
  (あんどう ゆきこ・「伊能忠敬文書目録」編者) 56-53
  付表〔関連年表〕
404 ○小野良助(栄重) 20号 小野良助と和算について 伊藤 栄子 20-20 19990730
  小野良助 第四次測量のみに参加
  故郷の上州岩鼻(現安中市)に引退し、栄重の名前で、和算家として弟子の養成に余生を捧げる。地もとではエイジュウさんとよばれている
  和算のながれ
  算学事始め 20-21
  栄重の生い立ちとその後 20-22
  参考文献 20-23
    平山諦『和算の誕生』恒星社厚生閣
    丸山清康『上毛の和算』みやの文庫
    大竹茂雄『群馬の和算家』上毛新聞社
405 ○和算の番付け表 36号 和算の番付け表から 伊藤 栄子 36-20 20040511
  群馬県群馬郡榛名町中曽根家の所蔵
  和算番付け表 古今名人算者鑑(ここんめいじんさんじゃかがみ) 文政九年丙戌仲春〔二月。1826年〕発兌(はつだ) 36-21
406 ○高橋至時 34号 高橋至時と妻の「柿の木の挿話」と無量寺 荻原 哲夫 34-10 20031026
  幸田露伴『伊能忠敬』の「柿の木の挿話」 賢女 妻・志勉(しめ)
  オリジナルは、馬琴の『兎園(とえん)小説』で、馬琴が主催した兎園会で披露された珍談・奇談を集めたもの。「賢女」は、輪池堂(屋代弘賢・幕府の奥祐筆)が披露した話
  御定番同心・高橋至時の住居跡 34-11
  高橋家の菩提寺・無量寺
  (おぎわら てつお・(株)パスコ主任技師) 34-12
  別紙1 幸田露伴『伊能忠敬』(『露伴全集』第5巻) 34-13
  別紙2 滝沢馬琴編『兎園小説』
52号 科学史学校講演会 中村士〔つこう〕先生 「天文方高橋至時・その生涯・業績・影響」の概要について 首藤 郁夫 52-18 20080531
  (すどう いくお・科学史学会関東支部長・科学史研究) 52-20
80号 高橋至時 町見図〔巻物〕 前田 幸子 80-46 20160930
  至時数え十八歳の、測量術の指南書か印可書
  天明元辛丑年 高橋小太郎 六月巳亥日《己亥 正当》〔己亥は六月二十八日。1781.08.17〕 80-49
407 ○周辺の人 高橋作左衛門景保 70号 伊能忠敬 周辺の人② 高橋作左衛門景保 前田 幸子 70-21 20130915
  はじめに
  少年時代
  俊秀のほまれ
  役職と研究業績
  多趣味と別荘 70-23
  大田南畝の詩
  放蕩と病気
  司天台の不審火
  景保の逮捕 70-24
  獄中生活


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407 ○周辺の人 高橋作左衛門景保 70号   獄死と塩漬 前田 幸子 70-24 20130915
  判決-三つの罪状 70-25
  公金流用の罪
  不身持の罪
  世間の景保像 70-26
  周囲の景保像 70-27
  景保の家族 70-28
  景保の墓
  景保と源空寺
  おわりに 70-29
408 ○高橋景保 28号 源空寺に景保墓は二基あった! 永野 達代 28-52 20020330
  誰が源空寺の忠敬墓を建立したか
  〔関東大震災後の〕復興計画
    図1 土地区画整理予定図 28-53
    図2 換地位置決定図
  源空寺に景保墓は二基あった!
  景保の子孫〔家系図〕 28-54
  関東大震災を以て高橋家は断絶したのである 28-55
409 ○亜欧堂田善 46号 忠敬と亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)〔銅版画師〕 松宮 輝明 46-34 20061122
  伊能忠敬と俳句の町須賀川
  伊能忠敬と銅版画家亜欧堂田善
    田善の師は、洋風画家蘭学者の司馬江漢と、日本画家谷文晁
    文化一四年(1817年)高橋景保は「新訂万国全図」を完成。銅版画は田善七〇歳の作 46-35
  銅版の皮膜は、せしめうるし〔生漆の一種〕
  亜欧堂田善の銅版画制作用具 腐蝕凹版技法 46-37
  田善の新訂万国全図と忠敬
  新訂万国全図の完成 46-38
  (まつみや てるあき・新入会員 あさかの学園大学講師(化学専攻)陶芸家(日展作家)) 46-40
410 ○周辺の人 渋川作左衛門景佑 76号 伊能忠敬 周辺の人③ 渋川作左衛門景佑〔高橋景保の実弟〕 前田 幸子 76-15 20150620
  はじめに
  母親代わり
  英才教育
  第五次測量への参加 76-16
  大坂での墓参
  夜中測量〔天測〕之図
  最初の結婚 76-17
  絵図面仕立
  養子縁組
  養父渋川正陽 76-18
  渋川家と川口家の家系図
  家督相続
  ラランデ翻訳 76-19
  景佑の忠敬伝
  シーボルト事件
  測量御用と天保改暦 76-20
  渋川敬直一件
  業績と評価 76-21
  景佑の人物像
  景佑の家族
  没年と墓 76-22
  おわりに
411 ○渋川景佑 37号 渋川家と養子景祐(高橋善助)の家族 伊藤 栄子 37-40 20040820
  渋川正陽家の七人の子供(男4女3) すべて早世
  景祐の家系図 37-43
  東海寺 渋川家の墓所 37-44
  附記 旧渋川家蔵書
412 ○周辺の人 平山藤右衛門季忠 77号 伊能忠敬 周辺の人④ 平山藤右衛門季忠 前田 幸子 77-19 20151020
  はじめに
  『東海濟勝記』の記述
  名門の誇り
  名将・平山季重 77-20
  平山季忠の略歴
  日蓮宗と平山家
  季忠の婿選び


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412 ○周辺の人 平山藤右衛門季忠 77号   『伊能豊秋日記』より-婿選びの経過 前田 幸子 77-21 20151020
  平山家の仮養子
  林大学頭への入門
  【林大学頭詩】 77-22
  【伊能家家訓】
  【伊能忠敬名乗】
  名乗書と家訓 77-23
  全国測量と平山家の兄弟
  平山郡蔵と第五次測量 77-24
  御手洗測量図
  菩提寺と墓所
413 ○神保家・高宮家 22号 伊能忠敬周辺の人々-千葉県山武郡横芝町神保家資料等から- 加藤 時男 22-19 20000203
  神保家の家系図 22-20
  高宮家 妹秀と、姉折江の位牌 稲の娘とするには疑問が残る 22-21
  (かとう ときお・千葉県文書館古文書調査員)
414 ○久保木清淵 42号 伊能忠敬と久保木清淵との契(一) 佐久間 達夫 42-51 20051109
  一、久保木清淵の閲歴
  二、伊能忠敬の儒学の師
    久保木清淵の代表的著作『補訂鄭註孝経』
  三、伊能忠敬の実測日本地図の作製に協力 42-53
  四、伊能忠敬の画像 42-57
    久保木清淵家では、「伊能忠敬の肖像画は、上部の賛と同じ人が描いているので、画の方には作者名を入れなかった。これを併題という。清淵は、彩色したロシア人を描いている」(久保木良氏談)
    清淵描画のロシア人 『警狄紀聞』より 佐原市立中央図書館保管
42号   佐原市津ノ宮地区図 佐久間 達夫記 42-58 20051109
43号 伊能忠敬と久保木清淵との契(二) 佐久間 達夫 43-63 20060220
  五、久保木清淵の子・清常の伊能家への協力
    久保木氏家譜〔家系図〕
  六、伊能忠誨に学問を教えた久保木清淵
  七、久保木清淵や父出生宅で学んだ学問を生涯持ち続けた伊能忠敬
  (さくま たつお・伊能忠敬研究家) 43-68
415 ○宮本茶村 77号 伊能一族と宮本茶村 宮内 敏 77-1 20151020
  はじめに
  宮本茶村(一七九三~一八六二)
  水雲橋 77-2
  伊能一族
  国学者 楫取魚彦(小野川を挟んで忠敬の先輩)
  伊能茂左衛門家と宮本家の姻戚関係
  忠敬は宮本家の娘を甥〔実兄神保貞詮の次男神保庄作〕の嫁にと考えた 77-3
  書状の潮来宮本平太夫の娘とは誰か
  伊能三郎右衛門(忠敬家)を再興した節軒
  茶村と節軒のエピソード
  忠敬の内妻とされる大崎栄と宮村茶村 77-4
    才女栄の大崎家について
    大崎栄の学びの関係〔関係図あり〕
  東北遊日記にみる茶村と吉田松陰 77-5
  大崎治郎太について(才女栄の大崎家) 77-6
  宮本茶村と久保木清淵(一七六二~一八二九)
  おわりに
    末筆になってしまったが、潮来の宮本茶村先生のことは同郷で宮本家とも伊能家とも縁戚になる郷土史研究家で本会会員の窪谷悌二郎氏が執筆されるのが最も適任と思っていた。今はそれも叶わぬことになってしまい残念である
80号 補遺 伊能一族と宮本茶村 80-50 20160930
  「吉田松陰 宮本茶村を訪う」の碑
  水戸藩旧延方郷校の孔子聖堂
  茶村から佐藤一斎への交流漢詩 80-51
  塾中心得添書
  〔茶村の私塾〕耻不若(ふちじゃく)と君子小人相反図 80-52
  宮内秀三宛て宮本千蔵書簡 80-53
    宮内秀三の母は茶村の姉(秀三は筆者の高祖父)。宮本千蔵は茶村の長男。千蔵の長男寛太郎は函館戦争の時、水戸藩小隊長として出征
416 ○小宮山楓軒 76号 -小宮山楓軒『懐宝日札』を読む-勘ケ由、軽躁ノ人物ナリ 前田 幸子 76-1 20150620
  小宮山楓軒は水戸藩の漢学者で郡奉行。『懐宝日札』は随筆風の書留
  『懐宝日札』の、伊能忠敬の記述をすべて抜き出し紹介する。忠敬と直接の交際はなかったらしく、知人からの聞き書きである
  小宮山楓軒(一七六四-一八四〇)
  『懐宝日札』十五巻十五冊
  勘ケ由、素ヨリ量地ノ学ヲ好ム 76-2
  勘ケ由死ス。高橋作左衛門ノ墓ニ双ベ葬ル 76-3


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416 ○小宮山楓軒 76号   伊能勘ケ由、実ハ先達テ帰泉ナリ 前田 幸子 76-3 20150620
  勘ケ由アリシトキハ、左倉〔佐原〕ノ風俗甚美ナリシ 76-4
  伊能村ハ下総ニアリ
  作左衛門ハ、大坂玉造組《京橋組 正当》ノ同心ナリ
  浅田幸隆〔麻田剛立〕ト云モノ
  大坂十一屋ト云ヘル質屋〔間重富(五郎兵衛)〕 76-5
  今ノ作左衛門〔景保〕、天文学父ニ及バズトイヘドモ
  水戸ノ長〔長久保〕赤水坐ラニシテ〔居ながらにして〕
  讃州〔讃岐国〕ハ測量セズ〔『測量日記』では通常通り測量している〕
  二十七里何分何里ニアタル〔第一次測量の緯度一度〕 76-6
  〔南北二十里もまっすぐなのは〕鹿島浦ト南部ノ浜《路 正当》ニアリ
  薩摩ハ貧国ナリ
  楓軒と幡龍に関する記述(参考)
    楓軒は久保木清淵を、水戸藩延方学校の教官として招聘した
417 ○飯高惣兵衛 20号 測量中の伊能忠敬に贈った飯高惣兵衛の漢詩について 木島 里八 20-6 19990730
  作者飯高惣兵衛と、『灞陵集(はりょうしゅう)』
  (きじま りはち・元九十九里町史編集委員) 20-7
20号   あとがき 「いわし博物館」木島氏に書いていただいた 安藤 20-7 19990730
418 ○佐原屋庄兵衛 78号 佐原屋庄兵衛とは何者か 玉造 功 78-10 20160220
  一 はじめに
    佐原屋庄兵衛は「箱崎町二丁目 奥川筋舩積〔船積〕問屋」
  二 奥川筋船積問屋としての佐原屋庄兵衛
    高瀬船での江戸~佐原河岸間の荷物運搬の窓口(船賃の一割が口銭)。船宿も兼業
  三 佐原屋庄兵衛と伊能三郎右衛門家 78-11
  四 飛脚便の窓口としての佐原屋庄兵衛
    月に六往復の定期便
  五 伊能忠敬測量隊と佐原屋庄兵衛 78-12
  六 おわりに
419 ○周辺の人 間宮林蔵 78号 伊能忠敬 周辺の人⑤ 間宮林蔵 前田 幸子 78-28 20160220
  はじめに
  おいたち
  蝦夷地へ-カラフト探検-
  再び蝦夷地へ-内地測量の旅- 78-29
  後半生は幕府隠密-シーボルト事件以後-
  間宮林蔵三十歳の肖像 『東韃地方紀行』より
  林蔵の人物像 78-30
  幕府の評価 78-33
  明治政府の評価
  林蔵の跡目相続
  忠敬の「贈る言葉」-偉なるかな倫宗- 78-34
  贈間宮倫宗序
  余話 間宮林蔵の肖像について 78-35
420 ○間宮林蔵 25号 研究会佐原支部見学会報告 間宮林蔵記念館を訪ねて 25-61 20010401
  専称寺の墓地にある間宮林蔵の質素な墓碑
29号 伊能家文書紹介 二〇 忠敬と間宮林蔵(一) 安藤 由紀子 29-20 20020731
  二人の年譜〔忠敬と間宮林蔵〕 十八年の重なった人生のうち、出会いは三回のみ
  「シャナ事件」〔択捉(えとろふ)島紗那の幕府会所をロシア人が焼き討ち〕 29-21
  「間宮海峡の発見」 29-22
  二回目の出会い 29-23
    こうして文化八年、二人は西と北に分かれていった
29号 史料紹介 「間宮林蔵の再発見」 間宮林蔵顕彰会編 大谷 29-19 20020731
30号 伊能家文書紹介 二一 忠敬と間宮林蔵(二) 安藤 由紀子 30-10 20021021
  ゴロウニン事件
  最後の出会い 30-11
  その後の間宮林蔵 30-12
35号 「林蔵祭」茨城県伊奈町〔現つくばみらい市〕で盛大に開催 大谷 恒彦 35-40 20040130
  一同に《一堂に 正当》会した間宮林蔵の子孫の方々・伊奈町
48号 間宮林蔵の病状・死因 杉浦 守邦 48-36 20070507
  (すぎうら もりくに・医学博士、山形大学名誉教授) 48-41
50号 シーボルト事件の背景と間宮林蔵(一)-林蔵は密告していない- 大谷 恒彦 50-46 20071130
  はじめに
  (1)シーボルト事件の主役たちがもつ「つながり」の必然性と偶然性
    シーボルト事件の主役ならびに地理・天文の関連人物 50-47
  (2)最上徳内からシーボルトに贈られたカラフト地図「黒龍江中之洲并天度」の推理 50-49


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420 ○間宮林蔵 50号   (3)シーボルトと間宮林蔵は会っていた-「手紙」のナゾと「江戸参府紀行」の解釈 大谷 恒彦 50-51 20071130
  (おおたに つねひこ・毎日新聞終身名誉職員、間宮林蔵顕彰会顧問)
51号 シーボルト事件の背景と間宮林蔵(二)-林蔵は密告していない- 51-26 20080229
  (4)事件発覚の端緒となった「小包」の中身「更紗一反」の持つ重み
  (5)シーボルトに手渡された「警告文」のねらい 51-27
  (6)帰国寸前の「神風」と事件の相関性 51-29
    文政十一年九月十七日〔1828.10.25〕の夜半~翌朝六時頃の台風来襲の模様
  (おおたに つねひこ・毎日新聞終身名誉職員、間宮林蔵顕彰会顧問) 51-32
57号 「伊能全図-北海道図」の功労者 間宮林蔵とゴロヴニン〔ゴロウニン〕との出逢い 河島 悦子 57-56 20090831
  間宮林蔵 57-57
  ゴロヴニン〔ゴロウニン〕
  (かわしま えつこ・歴史街道を歩く会代表) 57-59
  【参考】日露関係事件一覧(本文関係)
78号 間宮林蔵記念館視察研修会について 伊能 楯雄 78-55 20160220
83号 余話 第八次測量出立
83-27 20171130
83号   資料三 伊豆新聞『江川家の至宝39』 英毅は伊能忠敬間宮林蔵と交流 天文、測量、数学に造詣 英毅が神社に奉納した算額 植田 浩一 83-32 20171130
421 ○今井八九郎 48号 今井八九郎の「室蘭図」(一) 井口 利夫 48-46 20070507
  はじめに
  (1)伊能忠敬の孫弟子「今井八九郎」
    今井八九郎(信方のぶかた)は松前藩の測量家で、間宮林蔵にその測量術を学んだとされる
  (2)今井八九郎図の縮尺 48-47
  札幌市中央図書館蔵の今井八九郎図「室蘭図」 48-52
  (いぐち としお・アイヌ語地名、松浦武四郎研究家) 48-53
49号 今井八九郎の「室蘭図」(二) 49-33 20070806
  (3)今井八九郎「室蘭図」と松浦武四郎
  あとがき 49-37
  (いぐち としお・アイヌ語地名、松浦武四郎研究家)
422 ○周辺の人 桑原隆朝純 80号 伊能忠敬 周辺の人⑥ 桑原隆朝純 前田 幸子 80-27 20160930
  はじめに
  桑原氏の系譜
  初代桑原隆朝如璋
    桑原やよ子〔『宇津保(うつほ)物語』研究書の著者〕
  二代目桑原隆朝純 80-28
    義兄・工藤平助
    鬱屈の時代
    工桑二名手
    大工町の先生
    時代の転換 80-29
    測量事業への支援
    「桑原隆朝」の住所
    著書『唐後方』と長久保赤水 80-30
    純の家族と晩年
  三代目桑原隆朝如則
    如則の活躍と著書 80-31
    亀嶋の屋敷
    如則の家族
  四代目桑原隆朝如弘
    太田村の加瀬佐兵衛家
  五代目桑原如宣 80-32
  おわりに
  文久二年の地図 地図御用所
  抜粋 『むかしばなし』 平凡社東洋文庫 只野真葛(工藤あや子) 80-33
  桑原氏系譜略〔家系図〕 80-35
  参考 江戸切絵図 江戸城~地図御用所~富岡八幡宮 80-36
423 ○周辺の人 堀田摂津守正敦 82号 伊能忠敬 周辺の人⑦ 堀田摂津守正敦 前田 幸子 82-4 20170630
  はじめに
    【夢に堀田侯に謁す】(第三次測量)
  仙台での前半生
    伊達家の公子
    青春時代
    林子平と伊達家、伊能家
    別家当主・中村村由 82-5
  江戸での新人生
    堀田家の婿養子


No ジャンル 号数 表 題 著者 号-頁 発行日
423 ○周辺の人 堀田摂津守正敦 82号     松平定信との出会い 前田 幸子 82-5 20170630
    幕政への登場
    寛政の改革 82-6
    享保の遺制
    吉宗の改暦事業
    吉宗の地図事業
    定信の文教政策
    『よしの冊子』の人物評 82-7
    天文学者調査 82-8
    寛政改暦
    『寛政重修諸家譜』〔文化九年十月(1812.11)完成〕
    全国測量事業
    琵琶湖図 82-9
    堅田藩士・山田聯
  絶大な信頼
    仙台藩の後見
    蝦夷地御用
    寛政の遺老 82-10
    正敦の私生活
  時代の転換
    水野忠成の時代
    シーボルト事件
    観文禽譜
    『禽譜』ゑとびりか 82-11
    正敦の家族と周辺人物 82-12
    老中を辞退する
    辞職の歌
    正敦の晩年と墓所
  【参考】堀田正敦の出生年について 82-13
424 ○周辺の人 佐藤一斎 83号 伊能忠敬 周辺の人⑧ 佐藤一斎 前田 幸子 83-21 20171130
  はじめに
  佐藤一斎の「言志四録」
  家老の子〔佐藤一斎〕
  藩主の子〔林述斎〕
  士籍離脱
  隅田川事件
  大坂遊学 83-22
  捨蔵と改名
  林大学頭に入門
  昌平坂学問所開設
  林家の家塾 83-23
  交際のはじまり
  太田錦城
  【太田錦城に関する逸話・資料】 83-24
  尾形敬助 83-25
  忠誨の入門
  忠敬の墓碑文 83-26
  蛮社の獄
  奥村喜三郎
  晩年と墓所 83-27
  おわりに
  資料一 佐藤一斎『愛日樓全集 巻之十九』所収 『伊能東河墓碣銘』原文と読み下し文 83-28
83号   資料二 源空寺「東河伊能先生之墓」『東河伊能君墓銘并叙』原文と読み下し文〔第四十号の再掲〕 植田 浩一 83-30 20171130
425 ○周辺の人 渡辺啓次郎慎(尾形慶助) 93号 伊能忠敬 周辺の人⑨ 渡辺啓次郎慎 尾形慶助 前田 幸子 93-30 20210228
  はじめに
  おいたち
    実父は会田算左衛門
    多重の縁故
  第二次測量
    慶助「覚」を発する
    銚子〔犬若岬〕で富士山を測る 93-31
    雪中、下北の大難所を測る
  第三次測量 93-32
    松野茂右衛門へ書状を出す


No ジャンル 号数 表 題 著者 号-頁 発行日
425 ○周辺の人 渡辺啓次郎慎(尾形慶助) 93号   第四次測量 前田 幸子 93-32 20210228
    修行の日々
    慶助、麻疹重篤
    暦局へ出頭する
    破門され郷里へ帰る
  第五次測量
    勘当免除、測量現場へ駆けつける
    謹慎と四日後の免除 93-33
  漢学者への道
    学者をめざす
    立志伝中の人々
    尾形退去
  第六次測量 不参加
  第七次測量 不参加
  第八次測量
    測量への復帰
    夜間は助かる
    貞兵衛の代役
    保木敬蔵をしごく
    薩摩入り大いに恐る
  第九次測量 不参加
  幕臣・渡辺慎となる 93-34
    渡辺氏へ入夫
  第十次測量
  近親者との別れ
    文化十四年は大悪年
    忠敬の死
  『大日本沿海輿地全図』完成
  『輿地実測録』
  おわりに 93-35
    幸國寺の墓
    御普請役の系譜 渡辺啓之助 渡辺啓次郎の継嗣か
  渡辺慎/尾形慶助の名前について
426 ○西村太冲 28号 加賀藩天文暦学者 西村太冲(一) 河崎 倫代 28-28 20020330
  はじめに
  一、越中・城端から京都へ
    1 城端に生まれて
    2 京都・西村遠里に弟子入り 28-29
  二、大坂時代
    1 麻田剛立に弟子入り
    2 麻田派の天体観測 28-30
  三、城端から金沢へ 28-31
    1 城端へ帰る
    2 明倫堂の講師となり、金沢へ
    3 金沢で日食観測 28-32
    4 太冲の象限儀 28-33
  加賀藩天文暦学・測量に関心のある方は、富山市天文台のホームページを開いてみて下さい。渡辺誠氏作成の詳細な情報が満載されています
  富山市科学文化センター 伊能忠敬の加賀藩測量
29号 加賀藩天文暦学者 西村太冲(二) 29-28 20020731
  四、再び、城端時代
    1 講師を辞し、城端へ帰る
    2 伊能忠敬の北陸測量
    3 忠敬と石黒信由との出会い 29-29
    4 城端暮らし 29-30
    5 蘭学者宇田川玄真と対談 29-31
    6 小原家との交流と一白の死
  五、再び金沢へ 29-32
    1 河野久太郎のこと
    2 遠藤高璟(たかのり)のこと
  1998年4月から四年間金沢学院大学図書館に勤務しましたが、この四月高校へ戻りました 29-33
30号 加賀藩天文暦学者 西村太冲(三) 30-14 20021021
  五、再び金沢へ(つづき)《五のつづき》
    3 金沢町測量事業
  六、時制の改革 30-15


No ジャンル 号数 表 題 著者 号-頁 発行日
426 ○西村太冲 30号     1 十二代藩主前田斉広 河崎 倫代 30-15 20021021
    2 加賀藩の十三分割法
  七、金沢での天体観測 30-16
    1 ポンス彗星の観測
    2 気朔暦の発行 30-17
  八、太冲の死と後継者たち
    1 門人たち
    2 太冲の子孫たち 30-18
  よみがえる太冲
427 ○箱田良助 27号 内弟子・箱田良助の榎本家入籍事情 菅波 寛 27-29 20011201
27号   箱田良助は後の名を榎本円兵衛といい、御家人株を買い養子入りしたあと累進して旗本の御勘定となり、運を拓いた男である 渡辺 27-31 20011201
  坂部貞兵衛とならんで、忠敬の両翼であった
  円兵衛の次男・釜次郎は後の榎本武揚
  箱田は測量・製図に従事しながら、江戸官界の内情を知る。勘定所系統の役人には能力に応じた出世の道があることがわかる
  箱田が買った徒士の御家人株は五〇両。五〇両持参すれば、微禄の幕臣の養子になれた
41号 続・伊能忠敬未公開書簡より その三 伊能妙薫宛 箱田園右衛門〔箱田良助の父〕からの依頼状 伊藤 栄子 41-54 20050809
  箱田家と良助の生い立ち 41-56
  旗本の株を買う 41-57
    勝海舟の祖父は盲人であったが、越後から江戸へ出てきて小金を蓄え、それを元手に金融業をはじめて財を成した。それを一般に座頭金と呼んでいるが、彼は千両で検校の位を手に入れた。別に学問に優れ、また楽器の名手であったわけでもない
  (いとう えいこ・古文書研究家) 41-58
428 ○榎本武揚 42号 良助の次男 榎本武揚(前号〔箱田園右衛門からの依頼状〕のつづき)《榎本武揚としては(一)》 伊藤 栄子 42-44 20051109
  釜次郎、海を渡る〔オランダのハーグへ留学〕 42-45
  北走と入獄 42-47
  獄中生活 42-48
  武揚より姉への手紙 42-49
  (いとう えいこ・古文書研究家) 42-50
43号 良助の次男 榎本武揚(二) 43-56 20060220
  出牢のあと
  ロシアへの派遣 43-57
  樺太、千島の問題
  ロシアとの条約 43-60
  (いとう えいこ・古文書研究家) 43-62
44号 良助の次男 榎本武揚(三) 44-56 20060527
  ロシアからの手紙
  薩長政府の中で 44-58
  駐支公使として〔清国公使〕 44-59
  天津条約
  〔逓信〕大臣に就任 44-60
  叙爵のあと 44-61
  森有礼刺殺さる
  大津事件
  (いとう えいこ・古文書研究家) 44-62
44号 訂正 第43号56頁の写真 黒田清隆正当でした 編集部 44-62 20060527
45号 良助の次男 榎本武揚(四) 伊藤 栄子 45-59 20060816
  武揚夫人たづのこと
  武揚の扁額 45-61
  榎本隆光(たかみつ)《隆充 正当》氏〔武揚の曽孫〕 45-62
  晩年までの武揚 45-63
  おわりに 45-65
  (いとう えいこ・古文書研究家)
48号 「榎本武揚文書」解読余話 48-61 20070507
  昨年の十一月から、榎本隆充氏〔武揚の曽孫〕の御依頼をうけて、武揚の文書の解読を進めている
50号 榎本武揚百回忌〔没後99年〕に参列して 東京駒込吉祥寺 十月二十日(土) 50-24 20071130
  作家童門冬二氏の記念講演 中央区箱崎出身
  (いとう えいこ 古文書研究家) 50-25
59号 榎本武揚の時代と語学 59-36 20100228
  幕末期オランダ留学生の面々 59-37
  (いとう えいこ・古文書研究家) 59-41
60号 ロシヤでの武揚〔公使として〕 60-38 20101130
  明治七年三月十日横浜出帆 一行六名 60-39
  明治七年五月一日巴里(パリ)到着
  サンクト・ペテルブルグのヨーロッパホテルを当座の公使館とする
  樺太、千島交換条約 60-40
  明治八年十一月三日、日本公使館開館 60-41


No ジャンル 号数 表 題 著者 号-頁 発行日
428 ○榎本武揚 60号   マリヤ・ルース号事件 伊藤 栄子 60-41 20101130
  武揚の手紙から
  明治十一年七月シベリヤを経由して帰国 「シベリヤ日記」を死後発見して出版 60-42
  (いとう えいこ・古文書研究家)
69号 異色の新会員紹介 箱田良助の子孫・榎本隆充〔たかみつ〕さん 編集部 69-32 20130531
69号 榎本武揚文書に出会う 渡辺 一郎 69-34 20130531
69号 お知らせ TBSのBS番組に 榎本隆充さん登場
69-34 20130531