『伊能忠敬研究』 訂正箇所 
 ■[表 題]のところをクリックすると、訂正すべき箇所のページに飛びます。
 ■[訂正掲載の号-頁]のところをクリックすると、訂正が載っているページに飛びます。
 
表 題 著 者 場所 訂正掲載の号-頁
伊能図と官板實測日本地圖 清水 靖夫 10 19 下段 相模國津久井郡が両図とも「津久井縣」となっており、原図の誤りが、官板実測図にそのまま踏襲されている 津久井縣について 「津久井縣」で正しい。誤記ではない。「つくいがた」と読む 11-11
例会に出席の記 白根 貞夫 12 6 下段 小生には陸測図が千枚弱あるが 七千枚弱 13-33
しまい場所おありですか 住む場所
今井金吾氏の「今昔東海道旅案内」 今井金吾氏の『今昔東海道独案内』
例会に出席の記 12 7 下段 出版まで六年 出版まで十六年
伊能家文書紹介 五 その一 伊能図のプロモーターたち 安藤 由紀子 12 12 下段 桑原隆朝養純(忠敬の岳父)は、仙台藩医の中でも上級の江戸定詰(ジョウヅメ)の医師で、〔深川の〕仙台藩下屋敷の裏手、大工町に住んでいた 日本橋大工町(正確には元大工町)に住んでいた(御城に近かった)。なお、深川の大工町は、正確には海辺大工町 15-12
一九九八年度伊能忠敬研究会総会報告 総務会計幹事 中村 忠弥 17 2 上段 神保誠(忠敬の父・神保貞恒家の当主) 神保誠(忠敬の父・神保貞恒の本家である神保家当主) 18-33
小野良助と和算について 伊藤 栄子 20 22 上段 吉沢泰周 吉沢泰ママ周(恭周) 21-18
芳名録より-佐原伊能家を訪れた人々- 吉川 英治
31 21 下段 即 菩 薩 即 菩 提 32-21
伊能測量隊行進曲 渡辺・渡部 32 61 下段 左記は別名「鉄道唱歌」 原曲は「アムール川の流血」、替歌は「旧制一高寮歌」「歩兵の本領」 33-64
芳名録より-佐原伊能家を訪れた人々- 佐藤銕(鐵)太郎海軍中佐について 白根 貞夫 33 17 上段左4行 大佐藤井校一 大佐藤井較一(こういち) 34-22
出土した餅焼き網 前田 幸子 34 64 下段 上田じょう先生 上田穣先生 35-21
私〔羽間平安〕の姉の浜本は大阪府女専(今の大阪大学)を出て先生をしていた (今の大阪女子大学)
魚住そうごろう先生 魚澄惣五郎先生
伊能忠敬と菅茶山の会談について 菅波 寛 35 33 上段 漢詩7行目 奚嚢我亦収河収 奚嚢我亦収河岳 36-64
伊能忠誨(いのうただのり)日記(五) 先触 伊能三郎右衛門差出の文書 佐久間 達夫 36 58 下段 御定之沈賃銭請取之 御定之賃銭請取之 37-62
特集2 ドキュメント伊能忠敬研究会10年の歩み 伊能大図214枚史上初の全図公開まで 渡辺 一郎 38 17 上3 04・7・14 地元釧路新聞 地元北海道新聞 39-68
新入会員のみなさんです。どうぞよろしく
38 72 上段 巻渕 晃さん 巻渕 彰さん 39-67
伊能忠誨(いのうただのり)日記(八)最終回 佐久間 達夫 39 46 下1 永択 永沢 40-64
下22 両沸 両淵
伊能忠誨(いのうただのり)日記(八)最終回 39 47 上3 謎えし 誂えし
下11 平有衛門 平右衛門
伊能忠誨(いのうただのり)日記(八)最終回 39 48 上3 目待 日待
伊能忠誨(いのうただのり)日記(八)最終回 39 49 上16 帰亭 帰宅
下8 永択 永沢
下18
伊能忠誨(いのうただのり)日記(八)最終回 39 50 上18 星両図 星方図
座録 座線
宿録 宿線
伊能忠誨(いのうただのり)日記(八)最終回 39 52 下11 旭市大田 旭市太田
伊能忠誨日記番外資料 伊能忠誨(忠敬の孫)宅への来訪者・訪問先 39 55 上3 伊亀家 伊能家
上13 竜龍ヶ崎村 龍ヶ崎村
下21 旬碑 句碑
下23 繊乃銘 鐘乃銘
伊能忠誨日記番外資料 伊能忠誨(忠敬の孫)宅への来訪者・訪問先 39 56 下12 忠講 忠誨
伊能忠誨日記番外資料 伊能忠誨(忠敬の孫)宅への来訪者・訪問先 39 57 上5 永択兵輔 永沢兵輔
永択市郎兵衛 永沢市郎兵衛
上6 ぱぱ ばば
伊能忠誨日記番外資料 伊能忠誨(忠敬の孫)宅への来訪者・訪問先 39 58 下11 持畑 持田
詩人みたいな木 武田 威 42 31 下段 藺々(りんりん) 蕭々(しょうしょう) 43-72
良助の次男 榎本武揚 武揚より姉への手紙 2行目 伊藤 栄子 42 49 上段 憧ニ 慥ニ(たしかに)
良助の次男 榎本武揚(二) 伊藤 栄子 43 56 写真 黒田清輝 黒田清隆 44-62
続々 三浦半島に忠敬の足跡を歩く 七里ヶ浜の衷歌 白根 貞夫 45 57 下段 七里ヶ浜の衷歌 七里ヶ浜の哀歌 46-72
忠敬と亜欧堂田善(あおうどうでんぜん) 松宮 輝明 46 34 上段 一七九五年(寛政七年)より 一八〇〇年(寛政十二年)より 47-63
松平定信は日本地図作りを幕府天文方の高橋至時に命じております =時期が不一致なので削除します=
忠敬先生関連の或る古書をめぐって(一) 秋間 実 49 38 上段 B6版 B6判 50-59
忠敬先生関連の或る古書をめぐって(一) 49 39 上段 A5版 A5判
「伊能全図-北海道図」の功労者 間宮林蔵とゴロヴニンとの出逢い 河島 悦子 57 57
ゴロヴニンの肖像画の写真 表裏反対〔編集部が裏焼き〕 勲章の大綬は右肩→左腰に、副章は左肋に帯びる 58-71
伊能忠敬の歌『確かな一歩』を制定 事務局 60 8 歌詞 歌詞2番 2行目と3行目の間 「星空に託した 夢」が脱落 61-47
藤岡家旧蔵資料寄贈
61 9 一番上の写真 最上段「江川太郎左衛門宛書状」として、一番下と同じ「妙薫宛書状〔長女妙薫への年賀状〕」が入っている 「江川太郎左衛門宛書状」は「江川太郎左衛門英毅(英竜の父)からの書状」正当です。写真は、「十五周年記念特集号」24頁「ほっと・にゅーす」をご参照下さい 62-33
富士山の方位に拘った銚子測量の検証 宮内 敏 63 28 頁数字 頁数字「28」が脱落 「28」を追加
忠敬旧宅雑録(一) 伊能 洋 64 38 上段 重要文化財の遺品二百十五点と史蹟指定の旧宅を佐原市(現香取市)に寄贈して今のような状態になった 重要文化財の遺品二百十五点は寄贈し、旧宅と土地は佐原市に買い上げて頂いて 67-26
「伊能忠敬測量隊の足跡をたどる」連載第一回 監修 渡辺 一郎
編著 井上 辰男
64 45 右7 〔寛政十二年(1800年)九月十六日〕中食 一ノ瀬 中食 一ノ渡 65-51
目次
68 0 目次 会田算左右衛門安明 会田算左衛門安明 69-45
伊能大図第109図より 野麦峠
69 1 グラビア キャプションの中のお名前 猪原絃太氏 猪原紘太氏 70-29
伊能大図第25号より 襟裳岬 69 2 グラビア キャプションの中のお名前 猪原絃太氏 猪原紘太氏
伊能大図第116号より 三河湾東部 69 4 グラビア キャプションの中のお名前 猪原絃太氏 猪原紘太氏
窪谷婦人妙真のこと 窪谷 悌二郎 69 19 頁数字 頁数字「15」 「19」


表 題 著 者 場所 訂正掲載の号-頁
窪谷婦人妙真のこと 窪谷 悌二郎 69 19 中段枠内 異母 実母 70-29
窪谷婦人妙真のこと 69 21 上段右7 壬子 壬午
上段右9 寡ん言 寡言
窪谷婦人妙真のこと 69 24 上段枠内 ?兵衛 捴兵衛
飯高家ば 飯高家は
日本水準原点(国会議事堂前庭) 伊能洋氏描画
70 15 挿絵
縦横比が間違っていた〔差し替えの挿絵あり〕 71-24
裏表紙 英文タイトル2行目 70 54 裏表紙 STUDIES OF INOH'S MAP AND WRITNOS STUDIES OF INOH'S MAP AND WRITINGS
伊能忠敬測量日記五の巻末の舞台 鉢崎(はっさき)からつながる歴史の断片 山浦 佐智代 76 7 上後6 上杉景勝(一五五年~ 上杉景勝(一五五五年~ 77-50
伊能忠敬測量日記五の巻末の舞台 鉢崎(はっさき)からつながる歴史の断片 76 9 下段 左下航空写真(現在も残る江戸時代の地割) 赤い線が一部消えていました〔差し替えの図あり〕
『山島方位記』第三巻記載の富士山の高さ 菱山 剛秀 76 13 下段中央 原宿と富士山の距離=三十三町五十二間 原宿と富士山の距離=三十三町五十〇間
石川県支部ニュース 加賀藩測量の足跡をたどる(五の一) 室山 孝 78 51 2段目 ①名舟村・銭子九郎兵衛 ①名舟村・前古九郎兵衛〔平山隊が表記を誤ったらしい〕 79-61
最下段 濱高悦郎氏 濵高悦朗氏
濱高家 濵高家
川幅測定場面を記した野帳の解読と検証 芦田川の川幅 戸村 茂昭 79 21 下段右 図7 〔芦田川の〕川幅を求めるための絵図 寅19度35分 寅12度35分〔差し替えの図あり〕 80-66
訂正 【記念誌】正誤多数
85 29 【記念誌】正誤表 正誤多数 =内容は省略しました= 85-29
訂正 【記念誌】伊能忠敬関係系図(後編114ページ)〔家系図〕
85 31 【記念誌】正誤表 伊能忠敬関係系図 差し替え 85-31
訂正 【記念誌】 河崎 倫代 87 38 【記念誌】正誤表 記念碑153 有明町釜屋 龍神宮境内が正当 87-38
伊能測量協力者顕彰大会に参加して 桂 文子 85 50 4段目13行目 踏破した山の感想を一筆にたくして寸評することから、「一筆書き」と称しているらしい。 道路は言わずもがな、河や海も含めて、車や船など交通手段を一切使わず、自分の身体力だけで山から山へと訪ね歩き、上り下りを繰り返し、出発点から終着点まで切れ目なくつなぎ合わせて軌跡をえがいていくことから、「ひとふで書き」と称しているらしい。 87-48
伊能測量協力者顕彰大会に参加して 大星 正嗣 85 53 1段目6行 (三重県亀山市) (石川県七尾市) 86-60
寄付者名簿
85 58 3段目19行 小林一 小林一三〔会報HPは訂正済〕
3段目最終行 曾根田薫 曾根田馨〔会報HPは訂正済〕
裏表紙裏面 最下行 85 66 裏表紙 03-3465-9752 03-3466-9752
忠敬一行の淡路島・沼島測量-測量日記と淡路四草を紐解いて- 廣田 晋也 87 20 2段目8行目 これらの淡路島・沼島の寺は今もすべて存在している 淡路島・沼島の寺は、安乎下村の東山寺以外は現存している 90-80
『量地伝習録』を読む② 前田 幸子 89 16 頁全部 絵図仕立 〔91-33の頁のに、差し替え〕 91-33
伊能忠敬の未公表書簡(一) 井上 辰男 90 21 本文6行目 北極星の高度 北極高度(緯度)〔会報HPは訂正済〕 91-8
伊能忠敬の未公表書簡(一) 90 23 本文1行目 急な平行差もおふし 急な平行差も少なく(※学士院本に朱字で注記あり)
江戸府内第一次測量の記録(六)-文化十二年二月十日の『日記』- 玉造 功 97 17 図10 江戸府内図(南) 江戸府内図(北)〔会報HPは訂正済〕 98-59
国宝紹介 幕臣としての伊能忠敬 97 32 上段8行目 送らせる 遅らせる〔会報HPは訂正済〕
会員の近況報告・意見等
97 75 2段16行 (大阪府) (兵庫県)〔会報HPは訂正済〕
2段23~24行 トランジット〔HPトラシットブック〕 トランシットブック
3段13行 あるのにでは〔HPあるのです〕 あるのにです〔会報HPは訂正済〕