江戸時代の元号・西暦対応表 「凡例」
■「天正11.01.01(1583.01.24)」〜「明治05.12.02(1872.12.31)」の期間の毎日(10万5898日分)を収録し、江戸時代すべての日付を網羅しています。
■「西暦」は「太陽暦(グレゴリオ暦)」の日付です。ローマなどヨーロッパ諸国では、「紀元前45.01.01」から「太陽暦(ユリウス暦)」が使われていました。これは必ず4年に1回、4で割り切れる年を「閏年」として2月29日の「閏日」を置くルールです。ところが長い間に、「キリスト復活祭(イースター)」の日を計算する起点日の3月21日(日を固定した春分の日)が、天文上の「春分日」より約10日も遅くなって、ローマ・カトリック教会での宗教的な大問題となり、4で割り切れ100で割り切れない年は「閏年」としない(平年とする)ルールを付加し、ローマ教皇グレゴリウス13世が「ユリウス暦1582.02.24」に、教皇勅書として発布した暦法です。この年の「ユリウス暦1582.10.04(木)(天正10.09.18)」の翌日を、10日間飛ばして「1582.10.15(金)(天正10.09.19)」の日付とし、天文的に合うように改暦しました。最初はイタリアなど数ケ国の採用でしたが、のち次第に、ゆるやかながら世界各国に広まり、現代に到って事実上の世界共通暦となっています。
■日本では明治5年末まで、「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」が使われていました(通称「旧暦」)。月齢に合わせた暦なので、1ケ月は30日(「大の月」)または29日(「小の月」)となり、これで1年12ケ月とすると約11日短いので、19年の間に7回の「閏月(うるうづき)」を置き、この年は13ケ月として調整します。太陽暦が1年365日(閏年は366日)、月の大小も固定なのと比べ、年によって1年の長さが変わり、月の大小も年によって違うので、暦が必須でした。日本の暦法は、西暦862年貞観04.01.01「宣明暦(せんみょうれき)」〜1685年貞享02.01.01「貞享暦(じょうきょうれき)」〜1755年宝暦05.01.01「宝暦暦(ほうれきれき・ほうりゃくれき)」〜1798年寛政10.01.01「寛政暦(かんせいれき)」〜1844年天保15.01.01「天保暦(てんぽうれき)」と推移し、江戸時代に4回、改暦しました。明治6年の暦(天保暦)は、例年通り「明治05.10.01(1872.11.01)」から発売されましたが、「明治05.11.09(1872.12.09)」になって突然、太政官(明治政府)が「改暦ノ布告」を発表、わずか22日後の「明治05.12.02(1872.12.31)」を大晦日とし、28日間飛ばして、翌日を「明治06.01.01(1873.01.01)」正月元日とする「太陽暦(グレゴリオ暦)」への改暦が断行されました。[元号よみ]は一例で、宝暦(ほうれき・ほうりゃく)、元治(げんじ・がんじ)などには複数の読みがあります。
■[ユリウス日]とは、「太陽暦(ユリウス暦)」を「紀元前4713.01.01」(グレゴリオ暦では「紀元前4714.11.24」)まで遡って適用して、この日を起点のゼロ日と定め、この日からカウントした経過日数です。例えば、2023.03.31の[ユリウス日]は、246万0035です。長期間の年代計算のため、1583年フランスの古典学者スカリジェが提案した、7980年(28×19×15)周期の「ユリウス周期」に基づきます。1849年英国のハーシェルが天文学計算に応用し、天文学者に浸透しました。連続した正(せい)の数なので、任意の日付間の経過日数(例えば伊能忠敬の測量日数)が、簡単に引き算で計算できます(所要日数の場合はプラス1が必要です)。
■[ユリウス日][神武紀元]の詳しい説明については、「国立天文台ユリウス日」、「国立天文台神武紀元」で検索してみてください。
■参考文献   ○かわうそ@暦『こよみのページ』  http://www.koyomi8.com
        ○国立天文台暦計算室『日本の暦日データベース』  https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/caldb.cgi
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